前からの続き。漸く終わりです。
赤+緑。
出てきた日に、思うこと。
本文は「続き」からどうぞ。
ほら 僕が僕から離れてく そんなことさえも忘れたくなる
「真実とはねそれだけで美しいんだ」 と 言って
―――狭い。
その一言に尽きる。
もともと寝ることなど考慮されていない席なのは分かっているが、それにしたって狭い。後部座席のシート全部使っても上半身が余り、組んだ足は落ちかけてしまっている。
流石は大衆車。昔使用していた車はこんなではなかったはずだが。もう少し車種を考慮すべきだったろうか。
まあ良い―――思案するより早く、キレネンコは結論出した。
車を求めたのは寝床にするためではない。走れば、それで良い。ボロ車でも徒歩よりは格段に早いし、楽だ。
妥協案を推すよう、頭の下敷いていた雑誌を取り出す。
辺り一体包む宵闇はさほど影響及ばない。静寂も深淵も馴染み深い。昼間の明るさよりむしろ、好ましいくらいだ。
その夜の大気と同化したように静かだった胸も、開いたページには易々波打った。
目に飛び込んでくる、艶やかな真紅。
大輪の華よりも鮮麗な、流れる血脈より鮮烈な、 極彩鮮明な色彩。
そこに浮かぶ幾多の星の眩いこと―――まるでそれ自体が発光しているかのように、煌き放っている。
無意識に、口から息が漏れる。人は真に美しいものを目にした時言葉を失くすらしい。ならば、空翔る彗星の形したそれを見てとやかく言うのは無粋だろう。手に入れたい―――純粋な衝動が、全て代弁する。
勿論、監獄内にあっても手回しは容易だ。小うるさい看守を介すのが少々面倒なものの、それも一発殴れば話は済む。新作のスニーカーであろうと、例外はない。
それでもあえて自主行動選を択したのは、発売までの期間じっとしていられるほど衝動が弱くなかったのと。
―――飽きた。
そう表すのが一番、適切か。
要求する物全てが手に入る。生活の瑣事は全てを看させられる。必要最低限の動きさえすれば優雅ともいえる日常を謳歌できる刑務所の、ベルトコンベアーを彷彿させるシステムはそこそこ悪くはなかった。
時折ローラーの回転方向へ介入する異物―――分厚い壁だろうと聳え立つ塀だろうと阻む効果ないキレネンコにとって、軟弱なそれらは障害と呼ぶにも値しない―――はあったものの、放置するなり蹴り落とすなりすればまたベルトはつつがなく進んだ。
単純単調、停滞することのない日々。生きてきた中でも一番生温い、ぬるま湯浸かっているような生活をさて何年くらい送ったか。どうでもいいことなので覚えていない。
そして快適であるというのは同時に冗長でもある。端的に言えば、刺激がない。慢性的な倦怠感は徐々に降り積もり、濁った滓のように蓄積していく。
退屈は人を殺す―――どこかで聞き覚えのある格言が示すとおり、鬱屈とするのは好みでない。だから、出てきた。―――ら。
「…………」
珍品光る一面から上げた赤目が自動車のフロントを見た。運転席と助手席、並ぶ二つの座席の片方からひょこんと生えている、薄金色の毛束。
夜目がきくからかやたらくっきりと見える、麦の穂にも似たそれの正体をキレネンコは知っている。知っているが、しかし。
…………何故、乗っている?
論点は、そこだ。
パチパチ瞬く目。そこに差し当たって答えらしいものは見当たらない。視線の先の金糸は車窓から入る夜風に揺れるだけ。シートに隠れてしまっているがその向こう、毛先の持ち主の目が開いていないのは確実だ。
こじんまりした助手席に座る相手―――檻の中流れるキレネンコのベルトの上に最近紛れ込んできた、異物の一つ。相部屋だった房のスペースの何割かを削り取る、所謂同居者。
それが、居る。
気が付いた時には横に乗っていた。声をかけられた覚えもないし、許可した覚えはもっとない。だというのに、一体、何故。
そもそも、壁の穴から出ずとも出所日ではなかっただろうか。コイツは。
しかも、日付は確か、今日。
他人に一切興味ないキレネンコでも、カレンダーに印つけながら横で延々聞かされた同室者の出所日は一応覚えている。あまりにもしつこかったため自分のカレンダーへも早々印つけたくらいだ。騒々しい異物が居なくなる日、と。
悠々とした監獄暮らしは結局自適な旅へと指針変更したが、いずれにしてもそこに余計な手合いは含まない。一人気ままに、過ごすはずだったのだが。
スニーカー一色だった脳内から一旦星柄のそれを端に寄せ、考えてみる。
同乗されたこと自体は大した問題ではない。コンベア操業時同様、蹴り落とせば済む。
ただ、それで解消するのは状態のみ―――何故、という疑問は晴れない。
はっきりいって、謎だ。
薄い靄か霧かに覆われたような、不鮮明な感覚。違和感とも言い換えられるそれを正しく取り除くべく、思惟張り巡らせる。
推理、考案、思索、沈思。一通り黙考した末。掲げていた腕を、下ろした。
パタン、と思った以上に音響かせて閉じた雑誌を元の場所へと戻す。入れ替わるようにして上体起こしたキレネンコは、全く反応返さなかった前の席を覗き込んだ。
軽く首伸ばすだけで狭い空間は越せる。
ヘッドレストの脇から出した顔へ触れる、ふさふさした毛先。気のせいか、心なし甘い匂いが漂う―――独特の髪型に結わえたその袂、見覚えのある顔が覗いた。
年不相応というのか、やたら丸い頬した相手は予想通り目を閉じていた。狭苦しい場所に丸めた体はすぽりと納まっている。小さいというのは意外と便利なのかもしれない。
それにしても。
―――静かだ。
いっそ、不思議なほどに。
眠っているのだから当然といえばそこまでだが、普段あれだけ騒々しいだけに意外だ。部位の中で一番に生まれただろう口も今はすうすうと寝息立てている。見かけによらず図太いのか。否、思い返せばかなり豪胆な性格だった気もする―――房に入ってきた当初から恐れる様子なく、平然と自分に声かけてきたところとか。
やはり図太いからか、見ていても一向に瞼開く気配はない。
深緑の、身体割合からすれば比率大きすぎな―――星でも埋め込んでいるのかと時折いぶかしんだ、光多い瞳。
……あの目を、見れば。
真っ直ぐと、正面から自分見てきたあの目を見れば。ひょっとしたら、この不可解な謎も解けるのではないか。
理論的とは言いがたい。だが、理屈では答えが出てこなかった。頭で導き出せないなら、勘に従うまで―――割合外れることのないそれが、命令を飛ばす。
自身の奥深くが指示出すとおり、キレネンコは顔近づける。
鼻先くすぐる匂いを、柔らかく弧を描く輪郭を、より強く認識する。風受けて揺れていた髪と同じ、薄金色の睫毛縁取る目元―――薄く開いた唇から漏れる吐息が当たる距離来て尚、描く色は現れない。
もう少しか。さらに身を乗り出し、首をギリギリ一杯まで伸ばしてほぼ真向かいへと顔持っていき、
「―――っぷし!」
瞬時に退けた。
「…………」
飛来した飛沫を難なくやり過ごしたキレネンコは、無言のまま指を伸ばした。
元凶たる鼻をぎゅっ。と若干、強めに摘む。今度はくしゃみの代わりに「むぎー」と意味不明の言葉が流れたが、気にしない。このまま捥ぎ取ってしまっても構わない―――衛生上、ああいうのは許容できない。
動物二匹抱き込んでおいてまだ寒いとでもいうのか。だったら最初から窓を全開にするな。
一瞬それこそ車窓から蹴りだしてやろうかと思い至り―――
…………面倒だ。
全く、そのとおり。
いちいち足上げるのが面倒くさい。狭い車内、寝ているチビとは異なりこちらは四肢を伸ばすのに難儀する。
短く息を一つ―――最早疑問も謎も、どうでもいい。どれだけ顔近づけても、頬引っ張ってもきっと眼下の目は開かない―――現に抓ってやった鼻先が赤くなっていてもむにゃむにゃ寝言零しただけだ―――のに、費やす労力が惜しい。
再び座席へ寝転び、雑誌広げる。それだけで鼓動は正確に4拍子を刻み始める。
現れた星雲に対し、急速に薄れる同室者の―――今は同乗者となっている相手の面影。
ゆっくりと動き出した景色の中でちらつく、この想いが何なのか。
今はまだ、辿り着けない。
遠浅の場で思うもの。それは恋なのです。
全てはいつか繋がる、
―――
3話共通でRADWIMPSの『トレモロ』使っております……