8月26日は緑の出所日でしたね。ってことで、プチ記念。
3夜連続夕べ語り目論んでおります。
赤+緑。
脱獄の夜に、思うこと。
本文は「続き」からどうぞ。
満点の空に君の声が 響いてもいいような綺麗な夜
悲しみが悲しみで終わると疑わぬように 神様は僕に 夢を見させた
「ほふー……」
星空を見るのは、久しぶりだ。
助手席の窓開けて空仰ぐプーチンの口から、思わず溜息が出た。
黒々とした闇の中に、ちかちか輝く白い光の粒が浮かぶ。あっちも、こっちも、一面を覆う暗闇を打ち消さんばかりに輝きが溢れている。
今が夏でよかった。寒い季節だったら車内で野宿するのは勿論のこと、こうしてのんびり星を見上げるような余裕はなかったろう。
久方ぶりに目にする星空はただただ荘厳で、美しい。ずっと長いこと―――刑務所に入ってから、見る機会がなくなった光景だ。
そこまで考え。ようやく、プーチンは今日自身の出所日であったことを思い出した。
―――早まったのかな。
そう、思わないこともない。
あと数時間、大人しく房の中にいればまた堂々と表を歩ける生活が手に入ったのに。
さほど辛いとは思わなかった囚人生活だったが、3年間の間自由を望まなかったわけではない。
外出た後待ち受けるのが貧窮した営みであったとしても、寝転ぶことも出来ない、狭い車の座席の上でひざを抱えるようなことはなかったはずだ。
時折体の向きを変えてやるものの、硬いシートの上座りっぱなしの腰は悲鳴を上げている。起きて捻ればさぞ盛大な音を立てるだろう。
柔らかなベッドも、温かな食事も、出るも帰るも自由な自分だけの部屋も、消えて。
代わりに手に入れたのは、脱獄犯という更なる前科。
それでも―――あの時は、そうしなければならないと思った。
頑強なコンクリートの壁へ開いた穴を見て、そこをくぐる背中を見て、どうしても付いて行かなければと思った。
出所のことも抜け出した後のことも、その瞬間は何一つ浮かばなかった。
広い背中が遠くなる。揺れる赤い髪が、体温低い手が、届かない場所へ行ってしまう。それだけが、目へと焼きついて。
何処へ?
迷いない背は振り返らない。前向く目は自分を捕らえない。
置いていかないで。
手を伸ばした。走った。問いかけることは出来なかっただけれど、そのまま横へ滑り込むように乗り込んだ。
何も言わないまま、ちらりと赤い目が見て。車は、走り出した。
「…………」
はぁ、と漏れたため息は、星を見て純粋に感銘を受けていた時とは若干異なった。
後悔は、していない。ただ、疑問に思うだけだ。
なぜ、付いてきたのか。
平穏な人生を捨て、犯罪者の汚名被って、それで尚ここにいる理由はなぜなのか。
いくら考えようとも、答えは結びつかない。ぐるぐると絡まったまま回り続ける自問は余計に心掻き乱す。
困惑した、沈んだような表情のプーチンに、腕の中から鳴き声がした。夜の静寂に同化した車内で、その声はよく響く。
空から視線落としたプーチンは口元に人差し指を立て、そっと二匹をなでた。共に付いて来てくれた心優しい友人たちは振ってきそうな星空よりもさらに近い存在だ。
夏とはいえ太陽の出ていない夜半は冷える。着の身着のまま出てきたプーチンにとって、膝の上から感じるぬくもりは何物にも変えがたい。
では、一人後部座席に寝転ぶ彼は。一体誰が温めるのだろう。
ギシッと座席をきしませて、静かに後ろを振り返る。眠っているのかいないのか、背を向けるようにひねられた姿勢ではその様子は窺えない。いびきはおろか、寝息すら立てていないように見える。静か過ぎる眠り方は檻の中の頃と変わらなかった。
小柄なプーチンですら狭い座席だ、若干広いとはいえ長身の彼がそこに身を納めるのはさぞ負担だろう。同じ快適のなさでも手足伸ばせるスペースあった分だけ監獄のベッドの方がいくらかマシだったのではないかと思う。
窮屈そうに曲がった背中は特に不平を言わない。が、同時に逃げ出せたことに対する喜びも手にした自由への興奮も示したことはない。星空は勿論、すぐ真横のプーチンに対してすら何ら心情持って見ない。
色合いに反し情熱に欠ける赤い瞳が唯一反応を示すのは、脱獄理由でもある雑誌を眺めた時だけ。罪を犯してでも手に入れるだけの価値を、そこへ彼は見出しているのだろう。
ならばなおさら、自分がここにいる理由はあるのか。
否―――
ここに、この位置に。自分は居ても、良いのだろうか。
尋ねれば、答えはもらえるのかもしれない。何時ものように沈黙の末短い一言か、もしくは車外へ蹴り出すという直接的行動をもって。
車に乗せてくれたのが単なる気まぐれであるなら、降ろされることだってありえよう。
だから、訊かない。
気になっても、疑問に思っても、プーチンはそのことを尋ねない。
知らない顔を通して、何処とも知れぬ場所へ向かって走る車に乗る。
遥か上空で光る星を見上げ、触れること躊躇う相手と微妙な距離を保ったまま、体を丸めて眠る。
付いていく理由は分からない。付いていった先、どうなるかも分からない。
それでも―――辿り着く先、抱えるこの想いの答えも、ある気がして。
瞬く星が、朧になった。とろり引き込まれる眠りの気配に逆らわず、緩く瞼を閉じる。
光消えた世界は、不思議と優しい。手元へと当たるまどろみの呼気、背後で身じろぎ一つしない、けれど確かに存在感じさせる気配。車内に溢れる穏やかともいえる空気が、追われている立場すら忘れさせる。
たとえそれが、今夜だけでも。
安息にはほど遠い、危険と苦難が押し寄せる日々の、今日が始まりだとしても。今は。
「おやすみなさい―――キレネンコさん」
満点の空の下、心安らかな夢を見られるように。
見えざる気持ち、それを恋と呼ぶのなら。