ふざけた管理人で本当申し訳ないです、弥子様。
ぐしゃりとこの可哀想な頭を潰して下さい。むしろぐしゃりとキレ様の手で潰されるなら本望だ。
赤×緑。下の続き。
『ありがとう、キレネンコさん』
※暗くないです。苦手な方はすみません。
本文は『続き』からどうぞ。
ぐしゃり、ぐしゃり。
傍らの物を掴んでは潰し、落とし、また掴んで潰す。
無感動な目のまま、同じ作業をキレネンコは延々と繰り返す。
ひとつ、ふたつ、みっつ―――数だけ胸の内でカウントするものの、その数字が意味するところはあまりない。
よっつ、いつつ、むっつ―――赤く染まった手を拭う事もしないまま、自分の目と同じ色の赤が落ち溜まっていくのをじっと見つめる。
数が十に差し掛かった時、ふと、止めたほうが良いのだろうかと―――過ぎった考えに一瞬、キレネンコの手が止まる。が、彼はすぐに思い直して、手にしていた十個目を握り潰した。
ぐしゃりっ。
ボトボトと音を立てて落ちるそれを、掻き回す。
去り際望まれたのは、これだけだった。たった二つ。それだけ望んで、行ってしまった。
だからそれだけを行う。望みは全て、叶えると決めていたから―――
ぐるぐると反対の手を回しながら、もう一つ赤い塊を手にする。それまでと同じように指を曲げようとしていたキレネンコは、ぱたぱたと鳴り近づく足音に顔を上げた。
「―――ごめんなさい、キレネンコさん!鍋、どんな感じですか?」
台所の入り口から飛び込んできたプーチンが、わたわたしながらコンロの前へ立つキレネンコの方へと駆け寄ってくる。
入った時点で焦げた臭いはしなかったので大丈夫だとは思うが―――料理の経験があまり無い相手に無理を言って任せたので、些かの心配はある。
共同生活を始めてから炊事はプーチンの担当だった。
最初の頃「お米研いでもらえますか?」と頼んだ折り、研ぎ石を持ち出された瞬間の衝撃はなかなか忘れられない。しかしそれも相手の経歴を考えれば仕方が無い事だった。
黙々とヘラを動かすキレネンコの横に並んで、鍋の中を覗く。
ぐつぐつと煮立っている、赤い―――トマトベースのハヤシライスは、問題なく出来ているようだった。
ホッと安堵の息をついたプーチンは、頭上辺りに感じる視線に顔を上げた。ぱちっと合った赤い瞳が無言で指の方へとスライドしたのに気付き、彼は照れたように笑って手を翳した。
「あ。指ですか?大丈夫です。ちょっと切ってただけですから」
上げた指先には絆創膏がぺたりと巻かれている。野菜を刻んでいる際、うっかり包丁で切ってしまったのだ。最も、切ったといっても本当に皮一枚切っただけで大したことはない。
「血ももう止まってますし。
どっちかっていうと―――キレネンコさんの手の方が、すごい怪我してるみたいに見えますよね」
トマトを持つ、べったりと赤い果汁で染まっている手を示される。
汚れた己の手を見ながら、キレネンコは無言のまま数分前の遣り取りを思い出した。
リビングから「痛っ」という小さな小さな声を―――台所からの距離を考えれば常人には聞こえないレベルの物を―――聞き、雑誌を放り投げてすっ飛んできたキレネンコが見たのは、まな板の上のトマトを前に指を舐めているプーチンの姿だった。
少し顔を顰めていたプーチンが慌てて「大したこと無いです」と言ったのだが、そんな事で引き下がるキレネンコではない。軽く血を滲ませている指を取ると、当然のように自分の口内へと運んだ。
傷口に舌を這わせながらそのままなし崩し的に持っていこうとするキレネンコを、料理中だからとトマト並みに顔を赤くしたプーチンは何とか押し退けると―――チッという舌打ちを聞こえないフリをして―――絆創膏を取りに行くべく逃げるように台所を去った。その際、
『あ、じゃあキレネンコさん。すみませんけどトマト細かくして入れといてもらえませんか?あと、オニオン炒めてる途中なんでそっちもお願いします!』
『……………』
と、頼みごとを残して。
お預けをくらって若干むくれていたキレネンコだが、食べかけようとしていた相手のお願いを無視するわけにはいかない。
しかし―――鍋のオニオンを炒めながら、丸のままのトマトを細かくするにはどうしたら良いのか。
置かれた状況から見るとトマトは包丁で細かく刻むようだが、片手がヘラで塞がった状態で丸いトマトは切れない。勿論プーチンとしては同時進行しろ、というつもりで言ったわけではないのだが、料理の出来ない人間はきちんとした手順の説明がなければ理解が出来ない。
言われた内容を遂行する方法を料理スキルゼロのキレネンコが自分なりに思案した結果―――細かくなれば包丁でも手でも変わらないだろうと、かなり性格の出た、強引な結論付けがされた。
その考えが及ぶ合間には、プーチンの指を傷つける原因になったトマトへの、限りなく八つ当たりに近い恨みも篭っている。
つまり、憎きトマトに制裁を―――だ。
抵抗する術を持たない哀れな完熟トマトは、常人を遥かに上回る握力の、その何十分の一も発揮しない手によって悉く潰され、鍋一杯に溜まった。
もう一つの頼まれ事であったオニオンも焦げていない。確実に、プーチンの望んだ通りの状態になっている。
鍋の中身を覗き込んだプーチンの「これだけあれば十分ですね」という発言に、キレネンコは持っていたトマトを戻す。握り潰されなかった運良い一個は意思を持つ物ならほっと安堵しているだろう―――結局後でサラダ用に切られてしまう宿命にあるのだが。
かき混ぜていたヘラも渡し、立場所を入れ替わる。コンソメと赤ワイン、塩胡椒で味付けを調えたプーチンは、汚れた手を洗っているキレネンコに微笑みかけた。
「ありがとうございます、キレネンコさん」
「………………」
ほんわかした笑顔と共に告げられる礼に、ふいと赤い眼が逸らされる。隣で洗われる手がばしゃばしゃと少し早めに動いている事に鍋を掻き回すプーチンは気付かない。
量は二人分より少し多くなってしまったが、ハヤシライスは寝かせるほど美味しくなる。それに結果として珍しくも共同で作った料理だ―――幾らあっても構わない。きっと、格別に美味しく感じるはずだ。
何時もより特別になった料理に、上機嫌に手を動かす。プーチンの中で切った指の痛みなど、最早どこかに吹き飛んでしまっていた。
芳しい匂いを嗅ぎながら、仕上げに「美味しくなれ、美味しくなーれ」と口の中で呪文を唱えているプーチンへ脇から「おい」と声がかかる。首を向けると、すっかり綺麗な手になったキレネンコが視線を微妙に外したまま口を開いた。
「……他には」
「ほ?」
「他に、何か無いのか」
やる事があるなら、言え。
告げられた言葉に、プーチンが大きな目を瞬く。ぽかんと開けられた彼の口は何も言わないが―――明らかに、驚いていた。普段何もしないのに、とその表情が言外に物語っている。
キレネンコもそれに気付いたのか無表情の顔を少し顰めると「……無いなら、良い」と早々に申し出を下げた。さっさと台所を出て行こうとする相手に、はたとしたプーチンが慌てて声を上げる。
「わわっ!待って下さいー!―――あの、じゃあー……お皿、並べてて貰えますか?」
棚の高い場所にある皿を示して、伺うように首を傾げる。あれを取るには背の低いプーチンでは椅子が必要だ。毎回面倒を必要とする作業に、頷いたキレネンコは背伸びすることもなくひょいと皿を取る。
揃いの深皿二枚を手に、普段は出来上がった物を前に座るだけのダイニングへと向かう。
きちんとテーブル・クロスとナプキンも用意してくれるだろう、いつも自分の望みを叶えてくれるその背に、プーチンは嬉しそうに笑うと、もう一度鍋に向かって「美味しくなーれ」と囁いた。
それでは―――お揃いの皿を並べた、白いテーブル・クロスをかけた食卓で。
また、会いましょう。また、会いましょう。
裏切って、ごめんなさい……
本家は真面目(に滑る話)を書こうと思いますので、またお付き合い頂けると嬉しいです。