ありがとうございます。いらして下さる方、そして親しくして下さる方に心からお礼申し上げます。
…本当は、立ち上げ当時からトップに期間限定と書いているように、1年持つとは自身でも思っておりませんでした…
まぁ、その1年というのもダラダラと時が過ぎたただそれだけであるのですが。無責任で飽き性な自分にとっては、驚きの事態です。
これも全て、周囲の方々のおかげです。
沢山ご迷惑もおかけしていると思いますが、それでも優しくしてくださり、本当に感謝の限りです。
1年間、ありがとうございました。
至らぬ管理人と自己満足なサイトではありますが、これからもどうぞ、宜しくお願いします。
ありがとう言うべきときにネガティブが覗く自分は本当、キュッと締めてやりたい。
「すみません」も「ありがとう」も、どれも本心ではあるんです。
陰鬱で沈みまくっている状態の時、或いはテンションぶっちぎりで変態モード全開の時。
躁鬱もかくやといわんばかりにどちらも多い自分ではあるんですが、誇張しているつもりはないんです。その瞬間は、どちらも本気。
でも、それって全部、一般からはずれているんですよね。
正しい距離がどこなのか。適度なレベルはどの程度なのか。どこまで近づくのは正常なのかどんな言葉を使えば普通であってどこからがおかしいのか。
ずれてる自覚はあるんです。ごく一般の、自然を装ってみても、逸脱した感覚で模倣した行動はやっぱりずれに帰化する。取り繕おうとした分、最初よりも大きな齟齬が、生まれる。
多分遠近両極端な自分の一方は依存型で(寄生型というべきかもしれないけれど)最初の離れて二の足を踏んでいる状態からほんの一歩、向こう側へ寄ったら途端全部の尺度がおかしくなる。
男に生まれてたら、確実に手が後ろに回っていたに違いない…リアルで。
いや、すでに微妙に前科が…うん…だから余計、手に負えない自分が出ないよう、遠め遠めで居たわけで。
その自制もぐらつく今、割と本気でありがとうの後を「ございました」にするよう段取りつけるべきかと、思ったりもしていたものの…まだ、未練が多い。
それは結局、人のことより自分を優先した、身勝手極まりない理由なんですが。
そんな状態でどれだけ本心だといったところで、示す言葉は全て口先だけのことになってしまう。
それでも、思うこれらは嘘じゃないんです。
自分の気ままで始めてから今まで、大変お世話になりました。
色々とご迷惑をかけてしまい、すみません。
その間も優しく接してくれて、ありがとうございます。
いつまで続くか分からないのですが、もし許されるならこれからもどうぞ、宜しくお願いします。
過ぎたのは、たったの1年。自分にとってはそれは、結構長い時間でした。
最後の日はきっと、綺麗に清算するどころか全部引っ掻き回して逃げるような、そんな予感の方が強いのですが。
まだ、ここに留まっていたいんです。