本当は下のをなんとか12月31日に入れて日付だけでもキープしようとしたら、紅白の最中うたたねしてそれも叶わず。馬鹿っぽいので残しておくことにしました。(いらねぇ)
赤×緑(?)
間に合わなかったけれど、大晦日。
本文は『続き』からどうぞ。
草木も眠る、丑三つ時―――の、それよりも数時間前。灯りを落とした刑務所は、周囲の暗がりに溶け込んでいた。
一般的には早い時刻ではあるものの、定められた消灯時間である以上守らなくてはならない。今この建物内で動いているとすれば見張りの看守か、脱走を目論む犯罪者かだ。
―――その例外として、寝ながらコサックを踊っていたプーチンの目が、不意にパチッと開いた。
「ほっ!」
ぱちょんっ!と音を立てて割れた鼻ちょうちんに、ステップが止まる。瞬きする視界の向こう、広がる闇を暫く彼は眺めた。
目覚めたばかりの頭は、見慣れた房内であってもすぐには慣れない。物音一つしない。しんとした静寂が支配する空間は、自分の知らない世界のようだ。少し、寒い気がする―――コサックのお陰で体温が上がっていても、冬なのだから当たり前だ。壁一枚挟んだ外からは底冷えする冷気が入ってくる。
今は、冬だ。12月。カレンダーを持っているから知っている。出所日までの日付を数えつつ眺めている、もう残り1枚だけになった今年のカレンダー。
その最後の欄に、今日は丸を書き込んだ。
「―――ほっ!!」
瞬間、緑の瞳が大きく見開く。衝撃の事実に気付いたプーチンは、念のためもう一度全ての思考改め―――今は冬、カレンダーが12月、今日はその最後の日―――自身の考えの正しさを確証づけると、バッ!とベッドから飛び降りた。
硬いコンクリートの床へ着地した足がじんわり痺れるが、構わずに踏み込む。急げ、間に合わない。両手を振って大急ぎに駆ける。猛然と全速力で、距離にして大体3歩程度の区間を詰めたプーチンは、終着地点である隣のベッドへ勢い良く飛び乗った。
毎度のことながらこっちのマットは自分のものより柔らかい気がする、と頭の片隅で思いつつ、そこへ眠る相手を彼は掴んだ。
「キレネンコさんっ!」
「……」
毛布を被った肩をゆさゆさっ、と揺する。ちょっと強めの方が低血圧な相手には効くかと思ったし、何より、緊急事態だ。起きてもらわなければ。
しかし、プーチンがどんなに懸命に両手で押しても、はみ出している赤髪が持ち上がる気配はない。
「ねぇ、キレネンコさんっ!起きてくださいっ!」
「……」
「キレネンコさんキレネンコさーん!起きて~っ!!」
「……」
「起きてキレネンコさん起きて起きて起きてってばおき」
「煩い」
「むほぉわっ!」
ぼふんっ。
顔面を打つ衝撃に、思わず手を放してしまう。目の前に、お星様が。マット同様綿が一杯に詰まった枕から浴びせられた会心の一撃は、寝ぼけてベッドから転がり落ちた時の衝撃に匹敵する。あの時は、確か首がムチウチになりかけた。
そのまま遠くなりそうな意識をなんとか呼び止める。正した焦点の先では、ほんの僅か捻っただけだった体が再びマットへ横たえられようとしていた。今しがた鼻を折りかけた枕へ埋まろうとする頭を、プーチンは必死に取り縋る。
「キレネンコさん待って、寝ないで!」
「……」
「寝ないでーっ!!!」
寝言一つ零さない、そんな相手から伸びた髪を引っ張る。ブチブチッと何本か切れる手ごたえがあったが、ここで離したら負けである。後には引けない、と珍しく譲らない姿勢を見せたプーチンは、長い赤髪を手繰りよすようぐいぐい引っ張る。加えて「起きて起きて!」と耳元で、より大きな声を持って繰り返す。傷跡残る頬を、ぺちぺちと往復ビンタする。鼻を摘む。
―――等々、重ねる努力が報われたのは、割と間を置かずにだった。
「…………なんだ」
のそりと緩慢な仕草で半身を起こしたキレネンコは、閉じたままだった瞼を漸く開いた。
暗闇の中浮かぶ、紅。
剣呑さに光るその色はさながら鬼火のようで、地を這う低い声音と合わせて周囲の空気を一層凍りつかせるものにしている。刑務所に入れられて然るべきと、誰もが判じざるを得ない存在―――半眼の瞳から向けられる眼光は、それだけで人を殺せる。
おまけに、眠っているところを叩き起こされた彼の機嫌は大層下がっている。基本キレネンコは就寝の時間がくれば即寝て(勿論睡眠より優先したいことがあれば周囲に一切灯りがなかろうとそちらを遂行するが)日が昇るまでの間目覚めない。怒りの沸点の低い彼の数少ない平穏な時間、そこへかけられた突然の奇襲。不快にだってなろう。
不機嫌さ顕な視線が、容赦なくプーチンへ―――起き掛けに食らわせたチョップで悶絶している頭部へ―――と突き刺さった。
ちょんまげ頭を押さえてべそべそしていた彼は、「……何か用か」という一言に跳ねるように顔を上げる。
意外と、頑丈なヤツだ。結構加減せず叩いたのに―――キレネンコが再認識する中、さっきまでのいざこざがまるでなかったかのようにけろりとした顔をプーチンが向けた。
「そ、そうだっ!寝たらダメですよキレネンコさん!」
「……なんで」
「なんで、って当たり前じゃないですかー!だって、今日は特別ですもん!」
「…………」
「僕も毎年この日は寝ずに頑張るんですよ~。あ、ところで今何時で―――だから寝ちゃダメですってっ!」
半分以上覚醒していないキレネンコの頭は言われる言葉の大半を通り過ぎさせる。特別って、何が。頑張るって、何を。第一、時計のない房で何時か聞かれても答えようがない。
うつらうつらと船をこぐ肩を、プーチンの小さな手ががくがく揺する。随分必死な様子だが、安眠を妨害してまで要する『何か』がキレネンコには思い浮かばない。とりあえずあと5秒だけ、と辛うじて薄く開いている赤眼に、プーチンは慌てて口を開く。
「えっと、時間良く分かんないけどいいや!それじゃ、5―――4―――」
「……?」
突然始まった、カウントダウン。閉じかけている目から送られる不思議そうな視線も気付かないまま、秒は読まれる。
カチリ、カチリ。静かな部屋へ響くその声は、見えない針に重なるように進み―――
「2―――1―――
ゴーーーン……!
どこかで、鐘が鳴った。
―――と、プーチンだけが想像した音の聞こえないキレネンコは、相も変わらずなぼんやりした表情を浮かべる。「わーいわーい!」と大はしゃぎするプーチンを見て、寝るタイミングを逃してしまった彼は首を傾げた。
「……で?」
「はい?」
「なんで、起きてないといけない?」
さっぱり分からない。といった感じの顔を前に、プーチンはまたしても「当たり前じゃないですかー!」と繰り返した。
「だって、今日―――ああ、もう昨日かな多分、は大晦日じゃないですか!」
「皆、寝ずに迎えるでしょ?」という言葉は、概ねその通りだ―――大晦日の晩ともなると家族や友人で集まって家でわいわいやるか、もしくは花火を打ち上げる赤の広場まで赴き、クラッカーとシャンパンを手に騒ぎ立てるか。いづれも、大体の国民が年を跨ぐこの瞬間だけは外せないと目を爛々にしている。
時計や広場の鐘が12時を告げた途端、あとはお祭り騒ぎなのは恒例のこと。新年最初の朝日が昇るまで、延々飲み食べ歌い続ける。
その感性自体、キレネンコにはよく分からないのだが。高々西暦が一つ増えるだけなのに、何が面白いのか。
むしろ刑務所へ入ってから祝いも何もせずに静かに過ぎていった、ここ数年の方が性にあっていた。肉も酒もないが、楽で良い。
だがそれもどうやら今年―――いや、この場合は先ほど言われたように昨年になるのだろうきっと―――までらしい、とキレネンコの起きている片側の脳は、勘に近い判断を下す。
恐らく、それは正しい。何故ならそろそろ寝に戻っても良いだろうかとまどろみかける意識を、小さな手は掴んだ腕ごと離そうとしないからだ。
「ねー、新年ですよキレネンコさん!今年も宜しくお願いしますねっ!」
「…………」
「まだ寝ちゃダメですよー。初日の出、見ないと!」
「…………」
「そうだっ!眠いなら歌とか歌っちゃいましょうか!あと寒いし、コサックとか?むほっ、朝まで耐久コサックなんて僕初めてですよ~っ!よーし、がんば」
「うるせぇぞ、お前ら!大人しく寝てろっ!!」
「あ、看守さーん!明けましておめでとうございます~」
「明けまして、じゃねぇ!こっちは寝たくても起きてなきゃなんねぇんだよ!」
「…………」
「キレネンコさん起きてー!」
ぺちぺち頬を叩く音と、扉の前で怒鳴る声と、ほんの少しばかり立てられる寝息とが交錯する、明るさなどどこにもない監獄を新年の朝日が照らし出す頃。
「むにゃー……ごちそう、いっぱいー……」
「…………」
まぁ―――年に一度くらいなら。
付き合ってやらない事もない、と。コサックを踊りながら結局日の出より前に眠りについたプーチンを抱えて、珍しく陽光を浴びたキレネンコは思うのだった。
毎年、お前が居るなら。
悪くは、ない。
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姫初めのお誘いじゃなかったことにボスががっくりしているわけじゃ、ないんだからねっ!(何)